―秋葉原で車が暴走!-
第一報は、携帯電話の画面に流れるそんな文字でした。
最近、多い無謀運転による交通事故だろうと、その時は少しの胸の痛みを感じながらも、そんな風に他人事で意識を通り過ぎていきました。これは近年の自分の癖です。
意識に留めて思考するのにはあまりに多くの事故や事件が起きている近年の、いつの間にか身についた自衛手段です。自分で言うのもなんですが、幼少の頃より波乱万丈な生活を強いられて(子供ですから)きましたが、もともと三人兄妹の末子の為か、生来の気質の為かはわかりませんが、あまり物事や人に縛られることが無く、単純に人の行為は行為として、悪意は悪意として受け止めることが出来ました。それは、直接与えられた(向けられた)意識でしたし、大人の中にあっては、「言葉」が全てでは無いことを知っていたのです。
表情や仕種で、言葉ではない「心の裡」が表れること学んでいたのです。したがって、子供ながらに、あまり傷つく事もありませんでした。自分の悲しみや苦しみよりも、大人が抱えた痛みが大きいことを本能で理解していたからでしょう。
ところが、自分が大人になった時、その反動からでしょうか、直接自分に関わらないことでも傷つく自分がいました。これはもうとんでもないストレスなんです。その為の自衛手段です。
そうしてその日、帰宅してからテレビで流れるニュースで先ほどの事故が事件であることを知りました。
―死亡者・重軽傷者多数!休日の歩行者天国で大量殺人!-
一瞬、ここは外国かと思うほどの報道です。日常生活の中のあまりの非日常…私にとっては同時多発テロ事件の映像と同じ位の衝撃でした。
秋葉原と言えば「おたくの聖地」と言われる場所です。過去「おたく」と言う言葉が世の中に出てきた時とは多少意味合いが変わっているように思いますが、私自身も「おたく」と呼ばれる世界の住人でした。ガンダム世代と云われ、徹夜で映画館に並び、仮想の世界に恋をしたこともあります。四角い画面(映像)・四角い紙面(文字や絵)・表も裏も表現されるキャラクター達…でも、私はそれが現実でない事を知っていました。仮想世界の出来事で、100%理解できる他人はいない事、だからこそ憧れたのです。今もその気持ちは変わりません。現実に疲れれば、現実逃避のために、映画やコミックの世界に浸ります。そうして現実に戻ってきてから頑張れるのです。なのに…最近はあまりにも、四角いものが増えすぎて、安易過ぎて…世界が逆転してしまったのでしょうか?現実が仮想世界で非現実が本当に生きている世界…誰もが箱の中に身を沈め、本当の自分や環境を見ていないのでしょうか?出生地を離れ、優秀だった過去にしがみつくのでは無く、逆に現在の自分を卑下し、箱の底を這って生きている。
箱の中の、表情や仕種が見えない相手どころか「言葉」さえ交わさない「文字」のやり取りをする他人を唯一の友人と呼ぶ。そんな無意味なことでさえラッキーだと考えるこの犯人は…心を箱の中に残したまま、悲劇を起こしました。彼は想像することができなかったのでしょうか?箱の底から見える空は青く、自由だったかも知れない…でも、自由で美しい世界でも「敵」は存在します。誰もが自分を阻む「敵」と戦っているのです。何の障害も無い人生はありませんよ、自分で「敵」を作らなくても、必ず「敵」はやってきます。それは決して逃れることの出来ない「敵」です。世界で唯一、平等に与えられる「無になる一瞬」を「敵」を想像することが出来れば、凶行を止めることも出来たことでしょう。文字も言葉も要らない…そばに要るだけで安心でき、自分の「敵」を心から憎み、命がけで戦ってくれる家族や友人を想像することが出来れば、何かが変わっていたでしょう。
今の世の中は、万人が「おたく」の世界の住人です。
大人も子供も箱の中で自分の身を守っています。でも、心は縛られて歪んでいます。その事を想像してみてください!
箱の中に閉じこもって、澱んだ空気の中で、自分の心が醜く歪み、腐っていくところを想像してください!
想像することのできない貴方は、まだまだ世界を知らない幼子なのです。恥じることなく誰かに助けを求めることが出来るのです。そうして知っていくはずです。想像できることが…辛く苦しいけれど…何よりもラッキーであること。
自分が誰かを愛することが出来ること、愛されることが幸せであることが!